D51

D51は国鉄の前身である鉄道省が設計、1936年から製造したテンダー式蒸気機関車です。主に貨物輸送に用いられ、第二次大戦中に大量生産されたため総数1,115両に達し、ディーゼル機関車や電気機関車を含めた日本の機関車Ⅰ形式の両数では最も多い数が両数しました。デゴイチの愛称は日本の蒸気機関車の代名詞にもなりました。C11で実用化された電気溶接技術を応用して製造され、形態的にはC57との共通点が多いです。戦時体制へ入るにしたがって貨物機であるD51の需要が大きくなったため川崎車輌、汽車製造、日立製作所、日本車輌、三菱重工業、国鉄浜松工場、大宮工場、鷹取工場、小倉工場、長野工場、土崎工場、郡山工場、苗穂工場で製造されました。国内向けの他台湾向けやソ連サハリン鉄道向けなど海外向けの車両も製造し、これらを含めるとD51は1184両製造されたことになります。
製造時期によって3種類に区分されます。初期型はボイラー上に給水暖め器をレール方向に置いて、それを覆う長い覆いを持つことが外観上の特徴です。その形状から”ナメクジ”という愛称で呼ばれています。さらに、汽車製造製の22・23号機は覆いが運転台まで伸びているため”スーパーナメクジ”と呼ばれていました。その後メンテナンスの関係から通常のナメクジに換装されています。なお、ナメクジ型は集煙装置が取り付けられないため一部が標準型へ改造された例もあります。
標準型は1938年から竣工しました。ナメクジ型は重量配分が悪く重量列車牽き出し時に空転多発する傾向があったため、給水暖め器を煙突前に枕木方向に置いて動輪重量を均等化する等設計変更が行われました。この姿が広くD51のイメージとして流布されることになりました。
1944年度に製造されたグループはランボードやデフレクターなど木材を多用し、資源の節約などを行った戦時設計としました。また動輪上重量の増大を行って牽引重量増がはかられました。このグループは1000番代となり1001から付番されました。しかし、代用材料の使用やボイラーの溶接不良があったためボイラー爆発事故などが多発しました。そのため戦後代用材料を正規部品へ交換したり、ボイラーの新製交換などによる標準化工事が行われました。
全国の幹線・亜幹線に普及し、至る所で貨物列車を牽引する姿が見られました。特に中央線や函館本線の山線区間では優等列車の客車牽引をした車両も多かく在籍していました。戦後、貨物輸送激減と旅客の激増によりD51は39両を旅客用のC61とD61に改造しています。その後も使用線区の事情に応じて様々な改造が施され、多くのバリエーションを持っています。その後DD51に置き換えが進み、国鉄最後の蒸気機関車牽引の貨物列車を牽引し運用を終了しました。
その後178両が日本各地で静態保存されることになりました。そのなかでも梅小路蒸気機関車館の1号機、大宮総合車両センターの187号機、島根県和銅博物館の488号車、上毛高原駅前の745号機は準鉄道記念物に指定されています。また台湾に輸出された車両も台湾国内で4両が静態保存されています。426号機は鉄道博物館のSL運転シュミレータとして運転台部分が活用されています。
梅小路蒸気機関車館の200号機とJR東日本の498号機は動態保存され、498号機は現在でも本線上を走る姿が見られます。またサハリン鉄道では現在でも日本人観光客が乗車する列車でD51が活躍しています。


スチーム号 2009/9/20 梅小路蒸気機関車館にて


ナメクジ型/SL北びわこ号HM(冬) 2007/10/6 梅小路蒸気機関車館にて

迎春HM
2011/1/10 梅小路蒸気機関車館にて
入館者700万人達成記念HM
2010/1/10 梅小路蒸気機関車館にて
200号機側面プレート
2011/1/10 梅小路蒸気機関車館
1号機側面プレート
2011/1/10 梅小路蒸気機関車館

参考書籍:ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科辞典 国鉄D51形蒸気機関車

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